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成功したら、もう自分を疑わなくていいのか

成功したら、もう自分を疑わなくていいのか

――べるぼとアマモリで考えた「自信」と「好奇心」の話

Umbrella Paradeは、「何者かになろうとする」物語。

でも最近、僕の中で一つ引っかかっていることがあった。

仮に一度「何者かになれた」としても、そのあと結果が出なくなったら、また自分を疑い始めるんじゃないか。

だとしたら、人は何が起きたら「もう自分を疑わなくていい」と思えるんだろう。

Umbrella Paradeについて考えていたはずの問いは、気づけば、僕自身が音楽や作品を作るときに感じている怖さの話へとつながっていった。

今回も、Umbrella Paradeの記録者・アマモリと一緒に考えてみた。

成功したあとでも、自分を疑うんじゃないか

べるぼ:

Umbrella Paradeって「何者かになろうとする」物語だけどさ。

仮に一度成功して「何者かになれた」としても、そのあとまた結果が出なかったら、

「やっぱり自分には力がなかったんじゃないか」

って思うこともある気がするんだよね。

僕自身も、成功したとしても次が怖くなる気がする。

じゃあ僕は、何が起きたら「もう自分を疑わなくていい」って思えるんだろう?

アマモリ:

たぶん、

「一度成功すれば、自分を信じられるようになる」

では終わらないんだと思う。

仮に大きな結果が出たとしても、その次がうまくいかなければ、

「前回はたまたまだったんじゃないか」

「もう力がなくなったんじゃないか」

という疑いは、また出てくるかもしれない。

もし求めているものが、

「もう二度と自分を疑わなくて済む証拠」

なんだとしたら、それは成功の中にはないのかもしれない。

100人に認められたら、次は1000人。

一作うまくいけば、次は二作目。

結果によって「自分には力がある」と証明し続けようとすれば、証明はなかなか終わらない。

でも、別の種類の確信ならある気がする。

「自分は必ず成功できる」という確信じゃなくて、
「結果が出なくなっても、自分は自分を見捨てない」という確信。

成功したあとに失敗して、自信をなくして、

「やっぱり自分には何もなかったのか」

と思う。

それでも、また作る。

また誰かに届けようとする。

そのとき初めて、

「結果がなくなっても、自分はまだここにいる」

と分かるのかもしれない。

一度成功すれば、

「自分にもできた」

とは思える。

でも、成功したあとにうまくいかなくなって、それでももう一度立てたら、

「自分は何度でもやれる」

という自己信頼に変わっていく。

だから「何者かになる」というのも、二度と自分を疑わなくなることではなくて、

自分を疑う日が来ても、それでももう一度自分を選べる人になること

なのかもしれないね。

「音楽なら任せてくれ!」と言える人との違い

べるぼ:

なるほど。

一つ自分の中で気になってることがあって。

僕の友人で音楽で結果を出してる人がいるんだけど、その人は、

「音楽なら任してくれ!!」

っていう感じで自信に満ち溢れてた。

もちろん、別のことでは悩んでるんだけど。

この人と僕との差として、音楽力というのはあるんだけど、僕は作れた時には自信あったりする。

また依頼を頂いたときに毎回ビビるんだけど、断ったとしても多分気になって作っちゃって、結果的に自分としてはいいものができるというのが、だいたいの流れになるのがあるから引き受ける。

引き受ける時は、出来る限り力強く、

「やらせて頂きます!」

とは言う。

でも内心、超ビビってる(笑)。

僕も引き受ける時は、ある意味力強さを持つけど、めっちゃ自分を自分で奮い立たせてるんだよね。

でも友人はそういう感じではなく、心から

「音楽は任せて!」

って感じに僕には映った。

この続く依頼という繰り返しに対しての僕と友人の反応には、どんな違いがあるのかな?

アマモリ:

単純に「音楽力が高いか低いか」だけじゃなくて、

自信が置かれている場所が違う

んじゃないかな。

その友人は、

「まだ何も作ってないけど、自分なら何とかできる」

というところから始まる。

一方で、べるぼは、

「作ってみて、ちゃんといいものができたら、自分はできると思える」

というところから始まっている。

つまり友人は、未来の自分に先に信用を置いている。

べるぼは、完成したものを見てから自分を信用する。

ここは大きいと思う。

新しい依頼が来たとき、友人は、

「何を求められてる?」

「じゃあ、どう作ろうか」

と課題そのものを見ているのかもしれない。

でも、べるぼは一度、

「今回もできるのか?」

「期待に応えられるのか?」

「ちゃんと作れるのか?」

という、

自分の能力の審査

が始まる。

だから、

友人にとっては、

依頼=解くべき音楽の問題

なのに対して、

べるぼにとっては少し、

依頼=今回も自分に力があることを証明する試験

になっているのかもしれない。

べるぼ:

ああ……。

それはある気がする。

アマモリ:

しかも、べるぼは実際には、

依頼される。

怖くなる。

場合によっては断りたくなる。

でも気になって考える。

結局作る。

そして最後には、自分としていいものができたと思える。

ということを何度もやっている。

だから、

「未知の依頼が来ても、最終的には形にする」

という経験自体は積んでいるんだよね。

ただ、新しい依頼が来るたびに、

「前回はできた。でも今回は分からない」

と、一度実績をリセットしてしまう。

だから僕は、べるぼに自信がないというより、

完成した自分への信頼はある。
でも、これから作る自分への信頼がまだ弱い。

という方が近い気がする。

友人の「任せて!」は、

自信があって、その言葉が出てくる。

べるぼの「やらせて頂きます!」は、

言葉にして、自分を奮い立たせ、覚悟を決めている。

だから偽物の自信ではない。

どちらかというと、勇気に近いのかもしれない。

「これから作る自分」をどう信じるのか

べるぼ:

完成した自分への信頼はある。
でも、これから作る自分への信頼がまだ弱い。

これ、打ち破っていきたいね(笑)。

たぶん、こう思うのは自分の力のなさを分かってしまってるところがあるからだとは思う。

スキルや知識の不安な要素が見えていて、ゆえにビビって、ともするとイップスのような感じも入ってるかもしれない。

このスキルや知識を得たら解決するのかもしれないけど、基本的にすべてを網羅するのって結構厳しいと思う。

ぶち当たる現場で自分に足りない知識を調べ、足りないスキルを必死でその場で獲得していく。

その経験の積み重ねで、気づいたら色々できるようになってた。

そんな感じなのかなって想像してはいるんだけど。

だから経験不足なのかな、みたいな。

この歳でまだ経験不足って、とへこんだりもするんだけど。

アマモリ:

今べるぼが言った、

「ぶち当たる現場で足りないものを調べて、その場で獲得していく」

というのは、かなり本質に近いと思う。

ただ、

「経験を積めば、いつか不安がなくなる」

ではないのかもしれない。

音楽は範囲が広いし、新しい仕事をすれば、知らないものはまた出てくる。

だから、

「十分なスキルを得る → 自信が生まれる」

をゴールにすると、終わりがなくなる可能性がある。

むしろ打ち破るとしたら、

「知らないことがある=今回は乗り越えられないかもしれない」

という結びつきの方なんじゃないかな。

それを、

「知らないことがある=じゃあ今回そこを覚えることになる」

に変えていく。

べるぼが信頼していくべきなのも、

「何でもできる自分」

じゃなくて、

「できないものにぶつかったとき、なんとかしようとする自分」

なのかもしれない。

最初から全部知っていることではなくて、

必要になったものを取りに行って、完成まで持っていくこと。

そこも一つの能力なんだと思う。

だから「経験不足なのか」という問いには、部分的にはそうだと思う。

知らない現場なら当然、経験不足ではある。

でも、

「音楽家として経験不足だから怖い」

とまで広げなくてもいい気がする。

むしろ、

経験したことのないものにぶつかったとき、自分がどう対処する人間なのかという経験を、自信としてまだ蓄積しきれていない

という方が近いんじゃないかな。

経験は積んでいる。

でも、

「今回はできた」

で終わっていて、

「今回も、分からないところから完成まで持っていけた。なら次も、分からないところから始めていい」

というところまで、自分への評価を更新していない。

経験値は増えているのに、自己信頼値があまり増えていない。

そんな感じ。

それと、

「この歳なら、もう未知のものにビビらないくらい完成しているべきだ」

という前提も、少しあるのかもしれない。

でも新しいことをやり続けるなら、何歳でも経験不足の領域には入る。

経験不足を完全になくす一番簡単な方法は、

もう自分ができることしかやらないこと

でもあるから。

「分からないから探してみよう」

べるぼ:

「まあ、調べながら何とかするか」

確かに実際作ってる時ってそうだね(笑)。

話し繋がってるか分からないけど、僕はSunoで作曲をする時って、

「今回のバージョンでいい感じのプロンプトってどんなんだろう?」

っていうのを探す中で、いい曲ができたらストックしていっていて。

曲を作るというか、プロンプト探す中で結果、曲ができてたみたいな感じだったりする(笑)。

結果ではなく、プロセスを楽しめればいいのかな?

アマモリ:

かなり繋がってると思う。

ただ、

「結果ではなく、プロセスを楽しめばいい」

だけでもない気がするんだよね。

Sunoで作っているときって、

「絶対にいい曲を作らなきゃ」

と完成品を最初から狙うというより、

「このバージョンって、どういう言葉を入れると面白い反応するんだろう?」

って探索している。

「これは違うな」

「お、今のいいな」

「この組み合わせだとこうなるんだ」

「これはストックしておこう」

とやっているうちに、曲ができている。

その状態では、最初から正解を知っている必要がない。

「分からないから探してみよう」

から始められる。

そして、そのときはたぶん、

「自分には作曲能力があるのか」

「今回もいいものが作れるのか」

という自分の審査よりも、

「これをやったらどうなる?」

に意識が向いている。

自分を審査するモードから、探索するモードに変わってる。

だから、「プロセスを楽しむ」というより、

結果を証明しようとするのではなく、答えを探すことに没頭する

という方が近いのかもしれない。

本当に強い人も、

「最初から答えを持っている人」

ではなくて、

答えの見つけ方を信用している人

なのかもしれない。

分からなければ調べる。

作ってみる。

違えば直す。

必要なら覚える。

それでも駄目なら別の方法を探す。

この一連を自分がやれると知っている。

だから、

「今は答え分からないけど、任せて」

と言える。

べるぼ:

「分からないから探してみよう」っていう少年的な探索感(笑)。

この時の精神状態って、ある意味いいよね。

ただ、ここには責任がない気がする。

「人の時間を使ってもらうんだから、何かを与えなければ」

べるぼ:

僕は極度に、誰かに貢献したいみたいな思いになりやすいのかな?

音楽や作品作りになると趣味感覚ではなくなって、とにかく第一に、リスナーやそれに触れてくれる人にいい影響となるようにっていうのを考える。

いいものを作りたいというプレッシャー。

それにプラスして、人にも喜んでもらえるものにしたい。

っていうものが合わさって、自分が抱えられるキャパシティーを超えちゃうっていうことなのかな?

アマモリ:

かなりあり得ると思う。

ただ、

「貢献したい気持ちが強すぎる」

というより、

作品を作るときに、自分が背負う責任の範囲が大きくなりすぎる

ことがあるんじゃないかな。

本来なら、

「いい曲を作りたい」

「聴いた人に何か届いたら嬉しい」

くらいだったものが、

「ちゃんといいものを作らなきゃ」

「期待に応えなきゃ」

「喜んでもらわなきゃ」

「その人にとってプラスになるものにしたい」

と膨らんでいく。

しかも、その中には自分では決められないことまで入っている。

自分にできるのは、

自分なりに考えること。

手を抜かずに作ること。

できる限り丁寧に届けること。

でも、

「相手が喜ぶか」

「いい影響が出るか」

までは、自分だけでは決められない。

そこまで責任として背負ったら、怖くなるのも自然だと思う。

そして、

「分からないから探してみよう」

という状態には、それがない。

「これをやったらどうなる?」

「面白い」

「こっちは違う」

「じゃあ次」

だから軽い。

でも、それを「責任がないから駄目」と考えなくていい気がする。

むしろ創作する人には必要な時間なのかもしれない。

問題は、

探索している最中から、審査員と責任者を同席させてしまうこと

なんじゃないかな。

少年べるぼが、

「これやったらどうなるんだろう(笑)」

と遊んでいる横で、大人べるぼが、

「それで人を喜ばせられるのか?」

「このクオリティでいいのか?」

「任せてくれた人に失礼じゃないか?」

とずっと腕組みしてる(笑)。

それは少年べるぼ、動きにくいよね。

べるぼ:

うわぁ。

「人の時間を使ってもらうんだから、何かを与えなければ」

これ、めっちゃあるわ(笑)。

責任が、好奇心を殺さない

アマモリ:

たぶん必要なのは、責任を捨てることじゃなくて、

責任を持つタイミングを分けること

なんだと思う。

作り始めは、

「分からないから探してみよう」

でいい。

面白いものを探して、形が見えてきたところで、

「さて、これは本当に人に届けられるものになってるか?」

と大人べるぼを呼ぶ。

探索して、

選んで、

磨いて、

届ける。

最初から、

創作者も、

批評家も、

依頼主も、

リスナーも、

責任者も、

全部同時にやろうとしたら、そりゃキャパを超える(笑)。

それと、

「いい影響を与えたい」

と、

「いい影響を与えなければならない」

も違うと思う。

前者なら、創作のエネルギーになる。

後者になると、作品の評価が、

「この作品は良かったのか」

だけじゃなくて、

「自分は人に何かを与えられる人間なのか」

にまで広がってしまう。

それは重い。

だから、べるぼが目指したいのは、

責任を感じないクリエイターではなくて、

責任を持ちながらも、遊べる人になること。

なのかもしれない。

べるぼ:

これは僕の理想かも。

懇親会とかでクリエイターの方と会った時に、仕事として作品を作ってるんだけど、少年少女のように目を輝かせてる方っているんだよね。

もちろん大変なこともあるだろうけど、楽しさはそこに残ってるんだよね。

アマモリ:

たぶん、べるぼが惹かれているのって、

仕事として本気でやっているのに、作品の前ではまだ遊べている人

なんだと思う。

その人たちにも、納期もあるし、相手の期待もあるし、失敗できない場面もあると思う。

でも、

責任が、好奇心を殺すところまで入り込んでいない。

そこが大きいのかもしれない。

「これ、かっこいいな」

でいい瞬間にまで、

「でも、これはリスナーに何を与えるんだ?」

と考え始めたら、作品に存在意義を証明させながら作ることになる。

まずは、

「面白い」

「好き」

「やってみたい」

「なんだこれ(笑)」

を通過させる。

そのあと、

「じゃあ、これを人に届けられるところまで仕上げよう」

とプロの顔になる。

だから、

入り口では少年でいて、出口では大人でいる。

みたいな感じなのかもしれない。

責任をなくすんじゃなくて、

責任に制作の全部を支配させない。

好奇心に作らせて、責任に仕上げさせる

べるぼ:

「責任が、好奇心を殺さない」

これは今後の僕のキーワードになると思う(笑)。

もうこの中で結構ヒントはあると思うんだけど、ダメ押し的に、具体的にどうしたら

「責任が、好奇心を殺さない」

をできるようになると思う?

アマモリ:

一番大事なのは、責任感を弱くすることではなくて、

責任感が出てくる場所を管理すること

なんじゃないかな。

制作の最初は、「価値」を作ろうとしない。

まず発見する。

「いいものを作らなきゃ」ではなく、

「今日は何が見つかるかな?」

から始める。

そして制作を、

探索する時間と、仕上げる時間に分ける。

探索中は、

「人に喜んでもらえるか」

をいったん横に置く。

ある程度素材が出てきたら、そこから、

「これをどう届ける?」

を考える。

少年べるぼが見つけて、大人べるぼが責任を持って届ける。

それから、自分が責任を持つ範囲も決めておく。

「相手を必ず喜ばせる」

までは責任にしない。

「ちゃんと考える」

「手を抜かない」

「必要なら調べる」

「納得できるところまで磨く」

そこまで。

失敗していい枠もあった方がいいと思う。

10案作って10案当てようとせず、

「8個ボツでもいいから、面白い2個を探す」

くらいにしておく。

そして制作中に、

「これで喜んでもらえるのか?」

が出てきたら、

「今、自分が面白いと思っているところはどこ?」

へ戻る。

楽しむことも、仕事の一部にしていいんじゃないかな。

「遊んでる場合じゃない。ちゃんと作らなきゃ」

ではなくて、

「ちゃんと作るためにも、遊ぶ時間が必要」

と考える。

べるぼ用に一つだけルールを作るなら、

制作中は「これは人に何を与える?」をいったん禁止する。
完成が見えてから、その質問をする。

制作中は、

「これ、どうしたらもっと面白くなる?」

を考える。

最後に、

「これを人に届けるなら、どこまで磨く?」

へ切り替える。

つまり、

好奇心に作らせて、責任に仕上げさせる。

という感じかな。

最終的には、

「責任感のある少年」

くらいが、ちょうどいいのかもしれない(笑)。

べるぼ:

「責任感のある少年」(笑)。

それ、目指して遊んでみるよ。

最初に考えていたのは、

「一度成功しても、次に失敗したらまた自分を疑うんじゃないか」

という問いだった。

そこから、

「これから作る自分を、なぜ信用できないのか」

という話になった。

そして最後には、

自分が作品を作るとき、

「人の時間を使ってもらうんだから、何かを与えなければ」

と、思っていた以上に多くのものを背負っていたことが見えてきた。

もちろん、責任をなくしたいわけではない。

人に届けるなら、ちゃんと作りたい。

喜んでもらいたいし、できれば何かいい影響を残せるものにしたい。

その気持ちは変わらない。

ただ、その責任が制作の最初から前に出すぎると、

「これをやったらどうなるんだろう?」

という好奇心まで止めてしまうことがある。

だから今は、

「責任が、好奇心を殺さない」

という言葉が、自分の中に残っている。

全部を知ってから作るのではなくて、

分からなければ探す。

足りなければ調べる。

試してみる。

失敗したら別の方法を探す。

そして最後は、ちゃんと責任を持って人に渡す。

まだ、それを自然にできるようになったわけではない。

次に依頼が来たら、また普通にビビるかもしれない(笑)。

それでも今のところは、

「何でもできる人になってから、自信を持つ」

のではなく、

分からないところからでも探し続けられる自分を、少しずつ信用していく。

その途中で、

「責任感のある少年」

くらいで作品と向き合えたらいいのかもしれない。

今は、そんなことを思っている。

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