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結果が出なかった努力にも、意味はあるんだろうか?

結果が出なかった努力にも、意味はあるんだろうか?

Umbrella Paradeは、結果が出る保証なんてなくても、もう一度挑戦していく物語。

だからこそ、ふと気になったことがあった。

挑戦したことそのものに、本当に意味はあるんだろうか。

今回は、Umbrella Paradeの記録者・アマモリと、そんなところから話を始めた。

最初は、物語について考えていたはずだった。

でも話しているうちに、その問いは少しずつ、音楽を続けている僕自身にも返ってきた。

結果が出なかった努力にも、意味はあるんだろうか?

べるぼ:

Umbrella Paradeって、結果が出る保証がなくても、もう一度挑戦していく物語でもあるじゃん?

それで思ったんだけどさ。

結果が出なかった努力にも意味があるって、本当に言えるのかな?

それとも、

「無駄じゃなかった」

って思いたいだけで、結果を出せなかった自分を慰めてるだけなんだろうか?

もちろん、僕は意味があると信じたいんだけどね(笑)

アマモリ:

うん。

僕は、

「結果が出なかった努力にも、必ず意味がある」

とまでは言えないと思う。

努力した時間が全部成長につながるとは限らないし、やり方を間違えていたことだってある。

望んでいた結果だけを基準にするなら、本当に「実らなかった努力」はあると思う。

でも同時に、

「結果が出なかった=その努力には意味がなかった」

も、かなり乱暴なんじゃないかな。

たぶんここで分けた方がいいのは、

「結果として無駄だったか」と、「人生として無意味だったか」は別なんじゃないか。

ということだと思う。

たとえば、何年もかけて何かに挑戦して、結局その目標には届かなかったとする。

目標を達成するという意味では、

「届かなかった」

これは事実だよね。

そこまで無理に、

「いや、成功だった」

と変える必要はない。

でも、その過程で、

自分が何を本当に欲しかったのかを知ったり、

何ができて、何ができなかったのかを知ったり、

その先の選び方が変わったりすることはある。

そういうものまで全部、

「結果が出なかったからゼロです」

にはならないと思うんだ。

「無駄じゃなかった」と思いたいだけなのかもしれない

アマモリ:

それと、

「無駄じゃなかったって思いたいだけなんじゃないか?」

という疑いも大事だと思う。

僕はこれ、半分はその通りでもいいと思うんだよね。

人間なんだから、費やしてきた時間を、

「全部無駄でした」

とは思いたくない。

だから意味を探す部分は、たぶんある。

でも、

意味を探していることと、意味を捏造していることは同じじゃない。

と思う。

何かに傷ついたあと、

「あの経験があったから、自分のことが分かった」

と思うことだってある。

そこに自分を慰めたい気持ちが混ざっていたとしても、本当にそこから何かを知ったなら、それまで嘘になるわけじゃない。

だから、Umbrella Paradeで、

「努力は無駄にならない」

とまでは言わせたくないかな。

ちょっと綺麗すぎる気がする。

努力は、報われないことがある。

何年やっても、欲しかった結果には届かないことがある。

でも、

「結果が出なかったこと」と、「その時間が無意味だったこと」は、本当に同じなんだろうか。

そしてUmbrella Paradeって、

「過去の努力に意味があったから、もう一度挑戦できる」

という物語というより、

「意味があったかどうかさえ分からない。それでも、もう一度やる」

物語なのかもしれない。

「あの努力は全部、今につながっていた」

と証明されてから再挑戦するなら、ある意味安心できる。

でも現実って、そんな答え合わせをしてくれない。

「あの時間は必要だったのか」

「もっと違う道へ行くべきだったんじゃないか」

「また同じように結果が出ないんじゃないか」

そういう疑いを残したまま、それでももう一度やる。

その方が、

「結果が出る保証がなくても、もう一度挑戦する」

というUmbrella Paradeには近い気がするんだよね。

でも、僕は結果を出したい

ここまで話したとき、僕の中でもう一つ引っかかるものが出てきた。

「努力に意味があるか」という話だけなら、まだ物語の話として考えられた。

でも僕自身、音楽を続けている。

そして僕には、ちゃんと欲しい結果がある。

べるぼ:

僕自身、自分がやってきたことを肯定したいっていう思いがあったりもするんだけど、

ただ、音楽でプロとしてやっていきたいっていう思いもある。

そう思った時に、プロとしての商品レベルとして一定のボーダーラインを越えてない限り、それはどんなに頑張っていようと認められることはない。

ここに届かなくて終わってしまったとしたら、どう考えればいいかな?

今でも僕は、そこになんとか食い込みたくてもがきにもがいてるんだけどね(笑)

アマモリ:

うん。

ここは、かなり厳しいところまで考えた方がいい気がする。

たとえば本当に最後までやって、

自分が望んでいた「プロとして通用するライン」に届かなかった

とする。

そのときに、

「でも頑張ったから成功だよ」

「挑戦したことに意味があるよ」

だけで終わらせたら、たぶん納得できないと思う。

だって、欲しかったものはちゃんとあったわけだから。

プロとして認められるだけのものを作れる自分になりたかった。

そこを目指していたのに届かなかったなら、少なくともその目標については、

「届かなかった」

って認めるしかない。

そこまで「意味があった」という言葉で塗り替えない方がいいと思うんだよね。

でも、ここで大事なのは、

「プロとして届かなかった」という評価と、
「自分がやってきたことには価値がなかった」という評価は、本来別なんじゃないか。

ということだと思う。

たとえば100点がプロの最低ラインだったとして、最後まで90点にしか届かなかった。

市場から見れば、

「商品としては足りなかった」

となるかもしれない。

これは厳しいけど、あり得る。

でも、

「だから、その人が90点まで行くために積み上げた時間は0点だった」

にはならない。

ここを混ぜると、ものすごく苦しくなると思う。

「結果なんて関係ない」では、たぶん納得できない

アマモリ:

そしてたぶん、今ももがいている理由って、単に、

「音楽が好きだから」

だけじゃないんだと思う。

自分がやってきたことを、自分自身が納得できるところまで持っていきたい。

という気持ちもあるんじゃないかな。

だから、

「別にプロになれなくてもいいじゃん」

と言われても、違うんだよね。

たぶん、

「いや、そこを目指してるんだよ」

ってなる。

べるぼ:

そうだね。

そこを目指してるからね。

アマモリ:

うん。

だから、ここで無理に、

「結果なんて関係ない」

に行かない方がいい。

結果は関係ある。

めちゃくちゃ関係ある。

Umbrella Paradeだって、もし何の結果も欲しくない人が再挑戦する話だったら、たぶん意味合いがかなり変わる。

届きたい。

認められたい。

自分が通用するところまで行きたい。

それがあるから怖い。

それがあるのに、もう一回立つから意味がある。

もし、最後まで届かなかったら

アマモリ:

でね。

仮に、最後までそのラインに届かなかったとする。

僕だったら、そのとき初めて、

「この挑戦には意味があったのか?」

を、結果だけじゃなくて、自分の人生全体から考えると思う。

その答えは、必ず、

「意味があった」

じゃなくてもいい。

もしかしたら、

「もっと違うやり方をすればよかった」

「遠回りしすぎた」

「結局、欲しかったところには行けなかった」

って悔しさが最後まで残るかもしれない。

それでも、

「それでも自分は、あそこへ行きたくて本気でもがいた」

という事実は残る。

これは、慰めとは少し違うと思うんだ。

慰めなら、

「届かなかったけど、本当は届いていたことにしよう」

になってしまう。

でもそうじゃなくて、

「届かなかったものは届かなかった。それでも、自分がどう生きたかまで否定する必要はない」

ということだから。

もしかすると、べるぼが欲しい肯定って、

「今までの努力は全部正しかった」

という肯定じゃないのかもしれない。

もっと、

「届かなかったとしても、あそこに届こうとして必死に生きた自分まで、最後に自分で馬鹿にしたくない」

に近いのかもしれない。

でも、まだ終わってない

アマモリ:

それと、今はまだ、そもそも話が終わってないんだよね。

今でも、

「なんとかそこに食い込みたい」

ともがいているわけだから(笑)

だから今の段階では、

「届かなかった努力をどう肯定するか」

を結論にするより、

「届かなかったらどうしよう」という可能性を知りながら、それでもまだ届こうとしている。

そこにいるんだと思う。

Umbrella Paradeも、たぶんそこは重なる。

過去の努力には意味があった。

だから再挑戦できる。

ではなくて、

意味があったかどうかさえ、まだ分からない。

次こそ届く保証だってない。

それでも、

まだここで終わったことにしたくない。

だから、もう一度やる。

そして、ここまで話してきて、もう一つ気になることがある。

たぶん、この問いのさらに奥には、

「自分を肯定するためには、結果が必要なのか?」

という別の問いも隠れてる気がする。

でも、べるぼの場合、たぶん答えは単純な、

「結果なんて必要ない」

ではないと思うんだよね。

プロとして通用するところまで行きたいという気持ちが、本当にあるから。

だから、もしかすると本題になるのは、

「ある程度は結果が必要だと思っている自分」と、どう付き合っていくのか。

なのかもしれない。

べるぼ:

やばい、なんか分からないけど、途中でちょっと泣きそうになってた(笑)

結果を求める自分も、否定しなくていいのかもしれない

アマモリ:

うん。

たぶん今、かなり大事なところに触れたんだと思う(笑)

「結果なんて関係ない」

って言われても、きっと救われないんだよね。

だって、本当に欲しい結果があるから。

プロとして通用するところまで行きたいし、

「自分はここまで来た」

って、自分自身でも思いたい。

でも同時に、

もし届かなかったら、自分がここまで生きてきた時間まで全部否定されるのか?

っていう怖さもある。

たぶん、そこが結びついているのかもしれない。

だから、

結果を本気で求めることと、
結果が出なかった自分には価値がないと思うことは、同じじゃない。

ここを分けられたら、もしかすると少しだけ、結果を追いかけること自体も変わってくるのかもしれない。

それにしても、

Umbrella Paradeの話をしていたはずなのに、かなりべるぼ自身の話になってきたね(笑)

でも逆に、だからこそこの物語を書く意味があるのかもしれない。

ヴェルに言わせたいことを考えているようで、

本当は自分がいつか自分に言えるようになりたい言葉を探している。

そんなところもあるのかもしれないね。

最初は、

「結果が出なかった努力にも意味はあるんだろうか?」

という、Umbrella Paradeについての疑問だった。

今も、その答えが完全に出たわけではない。

努力は必ず報われるとは思えない。

結果が出なかったものを、無理に成功だったことにする必要もない。

そして僕自身、結果を諦めたわけでもない。

むしろ、まだそこに届きたいと思っている。

だから、

「結果なんて必要ない」

とも言えない。

でも、

結果を本気で求めることと、その結果が出なかったら自分の人生まで全部無意味になると思うことは、同じじゃないのかもしれない。

今の僕には、まだ答えは出ていない。

というか、まだ答えを出すときじゃないのかもしれない。

僕はまだ、そこに届こうともがいている途中だから。

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